2026年6月17日水曜日

無料のスナックを求める者たち——ファンダム文化の光と、同意なき帰属の暴力

 

日本には、コミュニケーションに対価を払う文化が昭和の時代から根づいています。その最も純粋な形態が、スナックです。

スナックの店舗数は全国でコンビニを大きく上回ると言われています。それほどの規模でありながら、情報誌はほとんどなく、食べログにもジャンルが存在しない。広く存在するのに、見えない。スナックという場は、その成り立ちからして独特の位相にあります。

スナックを支えているのは、酒やカラオケという商品ではありません。ママという人格への帰属です。ボトルキープはその象徴で、自分のボトルを店に預けることは「この店に属している」という物理的な証明として機能します。現代のサブスクリプション型ファンクラブ経済が、デジタル会員証や限定コンテンツで実現しようとしていることを、スナックは空間と人格によって昭和の段階ですでに先行していました。

常連になりたいという欲望の核心には、承認欲求と帰属意識があります。職場でも家庭でもない場所で、自分の名前を呼ばれ、自分のボトルが棚に並んでいる——その安堵は人間の普遍的な欲求に応えるものです。スナックはその欲望に、正当な回路を与えてきました。チャージ、ボトルキープ、カラオケ——これらはすべて「コミュニケーション労働」への対価を支払うという、明示的な合意の上に成り立っています。

ここが決定的に重要な点です。スナックのコミュニケーションは、双方の合意によって成立する有償の関係性です。

同じ欲望が、まったく異なる文法で動いている場があります。画廊です。

「ギャラリーストーカー」と呼ばれるのは、画廊や展覧会で若い女性作家に執拗につきまとう人たちのことです。長時間居座り、個人情報を聞き出し、食事に誘い、作品購入を口実に親密な関係を求める——筆を折る作家が出るほどの深刻な被害が、長年にわたって美術業界の内側で黙認されてきました。

この行為はこれまで「無料のキャバクラを求める行為」と表現されてきました。しかし本稿は、より正確な言葉として「無料のスナックを求める行為」と呼びます。彼らが求めているのは、キャバクラ的な「隣に座ってもらうサービス」ではなく、スナック的な「常連としての帰属関係」だからです。名前を覚えてもらうこと、特別な存在として認められること、繰り返し訪れることで距離を縮めること——彼らは対価を払わずに、スナックの常連になろうとしています。

問題をさらに深刻にしているのは、美術業界の権力構造です。コレクターや評論家、キュレーターは作家の将来を左右しうる立場にあります。多くの作家はフリーランスで、組織的な保護がありません。断ることがキャリアのリスクになりうる状況の中で、在廊する作家は「断れない接客」を強いられています。スナックのママが自らの意志で対価を受け取って立つカウンターとは、根本的に異なります。

SNS時代に入って、問題は空間的・時間的な拡張を遂げました。かつて展示空間内にとどまっていた接触が、フォローとDMによって境界を失い、在廊は「24時間営業のスナック」と化しつつあります。一方でSNSは、長く沈黙を強いられてきたこの問題を可視化する手段にもなりました。画廊による迷惑行為禁止の公式宣言、美大生有志による署名活動——ファンダムとストーキングの境界をめぐる問いが、同一の回路の上で同時進行しています。

2025年にカスタマーハラスメント防止措置を義務づける法律が成立し、2026年10月の施行が予定されています。重要な前進ですが、この法律は雇用関係のある従業員を守る枠組みです。フリーランスの作家も、女性店主が一人で営む個人書店や古書店の店員も、その保護の外に置かれたままです。本を買う場所で、本ではなく人との関係を求めてくる客——その構造は画廊での問題と本質的に同じであるにもかかわらず、小規模な個人経営の現場ほど制度の網からこぼれ落ちています。

スナック文化を支えてきたのは、コミュニケーションへの対価と、双方の合意という二つの原則です。対価も払わず、相手の同意も確かめず、帰属関係を一方的に要求することは、文化の誤読であるとともに、他者の労働と尊厳を無償で収奪しようとする行為です。

どのような空間にも、その場固有のルールがあります。画廊は作品を見る場であり、書店は本を買う場です。そこに立つ人間は、会話を売っているのではありません。

スナックの常連になりたいのであれば、スナックへ行けばいい。
そこには対価を受け取る準備のある、素晴らしいママたちがいます。

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