2026年6月11日木曜日

歌ってみた文化の現在地 ——ニコニコ動画・VTuber・世代交代が問うもの

 

ボーカルレコーディングの現場は、文化の変化を数字より早く感じ取ることができる場所です。スタジオにやってくる人々の顔ぶれ、持ち込まれる「目的」の変化——そこに耳を澄ますと、歌ってみた界隈の現在地が静かに浮かび上がってきます。


ここ数年でひとつの変化を感じています。スタジオを使う人の総数が変わったわけではありません。ただ、かつて多かった歌ってみた界隈の若い活動者——初めてスタジオの扉を開ける緊張を全身にまとい、録音という行為そのものに意味を見出していたあの層——の姿が、以前よりも少なくなっています。代わりに増えているのは、ボーカルスクールの講師が生徒募集のためのデモ動画を制作する、あるいはSNSや短尺動画向けのサビだけの録音を依頼するといった、既存の音楽発表構造の中での専門的・業務的な利用です。


この変化は、スタジオの景気とは別の話です。問いたいのは、ある種の「意志的な音楽行為」——夢想から始まり、技術を獲得し、世界に向けて声を届けようとする一連の衝動——が、この界隈においてどのように変質しつつあるか、ということです。



ニコニコ動画と「歌ってみた」の共依存関係


「歌ってみた」という言葉は、2007年5月にニコニコ動画がそれをカテゴリタグとして正式採用したことで、文化的な固有名詞になりました。この出自が示すことは重要です。この文化はプラットフォームによって命名され、プラットフォームによって可視化されてきたのです。


2024年6月のランサムウェア攻撃によるニコニコ動画の約2カ月にわたる停止は、その事実を改めて照らし出しました。文化的な行為そのものが失われたわけではありません。しかしその文化が「見える場所」が消えたとき、何が起きるかが明確になりました。投稿できない、ランキングに載らない、コメントが流れない——それはただの機能停止ではなく、この文化が生命維持のために依存していたインフラの喪失に等しい出来事でした。


2025年に実施されたランキングシステムの大幅改変でも同様のことが起きました。「歌ってみた」「VOCALOID」タグランキングへのアクセスが悪化したとして、ユーザーから強い批判が集まり、運営が修正対応に追われました。プラットフォームの設計がすなわち文化の可視性の設計であるという事実が、ここでも浮き彫りになりました。アルゴリズムを変えることは、誰の声が届き、誰の声が届かないかを変えることです。


2024年8月の復旧以降、歌コレ(歌ってみたCollection)は2026年春も開催を継続しており、次回秋の開催は9月24日から28日に決定しています。17年以上この界隈を観測し続ける「週刊歌らん」の筆者が指摘するように、ニコニコはいまも新しい才能を発掘するインキュベーターとして機能しています。しかし国内の動画プラットフォーム利用状況を見れば、ニコニコ動画の利用率はYouTubeの9割超とは比較にならないほど小さい。文化の「発見の場」としてのニコニコが機能し続けているとしても、その文化の主たるリスナー層はすでにYouTubeにいるのです。



担い手の世代交代——20代後半〜30代前半が主軸に


現在、この文化を最も濃密に支えているのはどの世代でしょうか。現場での観察と界隈の動向を照らし合わせると、20代後半から30代前半の女性が主軸になっているという印象が強まっています。


この印象には必然があります。「歌ってみた」がニコニコで産声を上げた2007年前後、隆盛期である2010年代前半に10代を過ごした世代が、いまちょうどそのゾーンに差し掛かっています。彼女たちにとって、コメントが画面を流れ、好きな歌い手の新着動画を心待ちにし、マイリスト登録という行為に意味を見出した経験は、単なる思い出ではありません。自分のアイデンティティの基層を成す体験として、現在進行形でこの文化と関わり続けています。文化の「記憶の持ち主」が、そのまま文化の「現在の担い手」でもある——これは、ある文化の成熟を示すと同時に、更新の困難さをも示しています。


一方、10代後半から20代前半の層の流入が、明らかに細くなっています。複数の調査を見ると、現在の10代が音楽に関して熱狂している対象は、K-POP、アニメタイアップ曲、TikTokのダンス動画で共有されるヒット曲であり、歌い手・歌ってみた文化への言及はほとんど現れません。動画プラットフォームの利用率こそ高いものの、長尺動画を腰を据えて視聴し、投稿者を「推す」という継続的な関係性を結ぶ文化的行動は、タイムパフォーマンス重視の時間感覚とは構造的に噛み合いにくいのです。


この世代との乖離は、単なる好みの問題ではありません。「歌ってみた」という行為は、楽曲を選び、カラオケ音源を用意し、録音し、ミックスし、動画を作り、投稿し、コメントを通じてリスナーと対話するという、時間と技術と意志の総体です。「スマートフォンで手軽にできる」というイメージが流通していますが、未経験の若いシンガーが独力でプロに近い音質を確保することは容易ではありません。参入の手続きが簡略化されたように見えて、実は参入を動機づける文化的な重力が弱くなっている——そちらの問題のほうが、より深いところにあるのかもしれません。



歌い手・VTuberのキャリアパスと、その現実


「歌ってみた」を起点にした成功の物語は、今もはっきりと存在します。歌い手グループ「いれいす」は2022年のメジャーデビュー以降、武道館、ドーム、そして2025年夏の全国アリーナツアーで9万人を動員するに至りました。「吉乃」は2024年秋クールにアニメ2作品の主題歌を同時担当するという異例の形でメジャーデビューを果たし、ホロライブ所属の星街すいせいは2024年にさいたまスーパーアリーナでのライブを実現し、代表曲「ビビデバ」は2024年末時点でYouTubeに約9,800万回の再生数を記録しています。


しかし、こうした成功例は界隈の最も明るく照らされた部分です。2025年時点でVTuber・Vライバーの総数は5万人規模にのぼるともいわれますが、個人勢でデビューした活動者の多くは年収10万円にも満たないのが実態です。収益ゼロで活動を続けている人は珍しくありません。


構造的な問題も根深い。VTuber・VSinger事務所の多くは、合格後の収益分配率を外部に開示しません。タレント側が合理的にリスクを判断できる情報が与えられていない状況は、業界全体の信頼性を損ない、才能ある活動者が参入をためらう一因になっています。大手事務所からの相次ぐ主要メンバーの活動終了が2024年に話題になった背景にも、こうした構造への不満があったと見られています。


さらに東京集中という問題があります。VSinger事務所の大多数が東京に拠点を置いており、リアルライブやスタジオ収録が主要収益源となるビジネスモデルでは、東京圏外のタレントは物理的・経済的に不利な立場に置かれます。インターネットが「どこにいても届けられる」可能性を開いたはずの文化が、ビジネス構造においては旧来の東京一極集中と変わらないという逆説が、この界隈に存在しています。



コロナ禍という膨張と、その後


2020年から2022年にかけてのコロナ禍は、VTuber・歌い手文化の爆発的な拡大期と重なりました。巣ごもり需要と配信視聴の急増が生んだ特需は、多くの参入者と多くのリスナーを一気に呼び込みました。しかしこれは文化としての成熟によって生まれた成長ではなく、外部環境の異常によって生まれた膨張でした。


2022年以降、社会活動の正常化とともに視聴時間は収縮に転じましたが、市場に参入した活動者の数は増えたままです。競争は激化し、パイは縮んだ。コロナ禍の熱量に動かされてこの世界に入った若い層の多くは、収益との接続が見えないまま、あるいは不透明なビジネス構造の前で立ち止まったまま、次の一歩を踏み出せずにいます。


冒頭で触れたスタジオの変化は、この文脈に置くと別の輪郭を帯びます。専門家が業務として使う録音から、夢想を抱えた活動者が初めてマイクの前に立つ録音へ——後者の比率が相対的に下がっているとすれば、それは文化の「入口のエネルギー」が変質しつつあることを示しています。文化を前進させる力の相当部分は、いつの時代も、まだ何者でもない人間の無謀な意志から生まれます。



声の文化が問われていること


この文化の「次の担い手」は、どこから来るのでしょうか。


現在の主要な担い手は、この文化とともに育った世代です。ニコニコのインキュベーター機能は今も働いており、歌コレがスターを生む見本市として機能し続けているとすれば、文化の連鎖はかろうじて続くかもしれません。しかしそのためには、ある種の「意志的な参入」が新たに生まれ続けることが必要です。


10代のZ世代が歌ってみたに無関心なのではありません。彼らは音楽を深く愛しています。ただ、その愛し方が異なる。丁寧に録音して投稿し、コメントでリスナーと対話し、歌い手として認知されていくという時間軸の長い文化的行為は、15秒で完結するコンテンツの体験とは根本的に異なる時間の使い方を要求します。どちらが良い悪いという話ではなく、両者の間には相互に乗り越えにくい時間感覚の差があります。


「歌ってみた」という文化が示し続けてきたのは、声ひとつで世界に届けられるという可能性の感覚でした。その感覚が、いま、プラットフォームの変容と世代の交代と、ビジネス構造の不透明さと、東京集中という地理的障壁の前で、静かに問い直されています。そこに、人間の声を精巧に模倣する音声合成AIの進化という問いが重なりつつあることも、書き添えておかなければなりません。声の固有性とは何か、生身の人間が歌うことの意味とは何か——この問いは、技術によっても制度によっても、まだ決着がついていない。答えはまだ、どこにも書かれていないのです。

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