芸術と録音の本質 ― 有機的表現とAI時代の課題
2025年9月6日
著者:藤原 亮英(神宮前レコーディングスタジオ)
芸術表現は、長い歴史のなかで常に「手」と「身体」によって紡がれてきました。筆をとり、絵を描き、文字を記し、舞台に立ち、声をあげる――その一つひとつには、表現者の時間や記憶、手触りや息遣いといった、取り替えのきかない“生”が宿っています。録音もまた同様であり、私たちはこの「有機的表現」を技術と感性をもって正確に受け止め、記録・保存することで後世へ手渡していきます。
有機的表現:音楽は物理であり、身体で解釈されます
音楽はデータや記号ではなく、空気の振動として成立します。低音は胸郭や腹部を震わせ、高音は神経を微細に刺激し、リズムは心拍と歩幅を整えます。最終的にスピーカーやイヤフォンから発せられる振動が、人間の身体により有機的に解釈されて初めて、音楽体験が立ち上がるのです。
録音の本質:生の瞬間を空気とともに捕捉します
録音は単なる技術ではありません。スタジオという場において、演者とエンジニアが同じ空気を共有し、言葉にならない気配をも含めて捉えます。赤いランプが点り、クリック前の呼吸が深まり、最初の一音が空間を変える――その瞬間に宿る“生”を、誠実に記録・保存するのです。
AI時代の課題:模倣・補助はできても「業の肯定」は担えません
生成AIは過去データを統計的に再構成して音や声をつくります。実用上の価値は大きい一方で、「必然性」や「切実さ」、矛盾を抱えた人間の“業”は含まれません。実務の現場では、AIが生成した音声に対し、呼吸や間、抑揚、発話速度、音素の揺らぎを人間の耳と手で丁寧に調整し、“魂を入れる”工程を経ることで初めて表現へ近づいていきます。
録音を支える三つの共有:「生・業・責任」
- 生の共有:同じ空気・身体・時間を分かち合い、場の生々しさをそのまま受け止めること。
- 業の共有:表現者の必然や矛盾を共に引き受け、音へと昇華させること。
- 責任の共有:記録は未来へ手渡される前提で作られ、社会に届く音として誠実に仕上げること。
これらはAIのみでは担えません。人の耳と手、判断と責任が不可欠です。
レコーディングエンジニアの役割:最後の砦としての存在意義
エンジニアは作業者ではなく、共同制作者です。波形の整形に留まらず、「どの瞬間を未来に残すか」という価値判断を、技術と感性の両輪で行います。AI時代においても、この責任は揺らがず、むしろ重要性を増していると確信しています。
結論:有機的表現を未来へ――スタジオは存在証明の場です
芸術は「手」と「身体」によって立ち上がり、音楽は有機的な物理現象として身体に受け止められます。録音は、その生を空気と共に捕捉し、業と責任を共有して未来へ渡す営みです。AIは強力な補助線となり得ますが、「業の肯定」や「責任の共有」を代替することはできません。だからこそ、スタジオとエンジニアは、これからも音の存在証明を担っていくのです。
【神宮前レコーディングスタジオのご案内】
名古屋で「有機的表現」を誠実に残す場所をお探しでしたら、当スタジオの詳細をご覧ください。料金や設備、予約方法などを掲載しています。
公式サイト:https://www.elekitel.net/
© 神宮前レコーディングスタジオ(運営:エレキテル・プロジェクト)
所在地:愛知県名古屋市熱田区花表町8-12
基本料金:1時間4,000円(税込・1時間単位)
予約確定:公式LINEで本名フルネーム送信(https://lin.ee/g3m9K6L)
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