2025年9月5日金曜日

芸術か消費か ― 音楽をめぐる世代間断絶とレコーディングの未来



2025年、音楽産業の姿は大きく変わっています。かつてのようにCDや出版物を販売し、そこから収益を得るモデルは数字の上でほとんど崩壊しました。日本レコード協会の統計では2024年のCDアルバム生産数が前年比12%減、出版科学研究所の報告でも紙の出版物の売上が5%以上減少しています。かつて当たり前だった「所有する音楽」は、経済的にも文化的にも持続できなくなっています。

その一方で、ストリーミングサービスを中心とした配信ビジネスは急成長を続けています。スマートフォンを手にすれば世界中の音楽がすぐに流れてくる時代です。音楽は「手に取るもの」から「流れてくるもの」へと変わり、その存在の意味まで変質しました。

しかし、この変化は単なるフォーマットの違いにとどまりません。人間の音楽体験そのものを塗り替えています。アナログ時代には、人間的なひらめきと試行錯誤の積み重ねが新しい音楽を生み出し、ショパンやベートーヴェンのように既存の言語を超える存在が現れました。AI時代の音楽は、過去のデータを学習し、統計的に再構成されることで成立しています。効率的で便利ですが、飛躍を生むことはなく、再生産の枠を越えることはできません。

さらにスマートフォン文化が加わり、音楽は「ながら聴き」やSNSでの短い共有のために消費されるものになっています。Spotifyの調査では日本のZ世代の七割以上が「音楽はながらで聴くもの」と答え、TikTokの調査でも18〜24歳の約65%が「音楽を知るきっかけはショート動画」と答えています。アルバム全体をじっくり聴くという体験は減少し、短いフレーズをSNSで共感し合うことが中心となりました。

この世代間の違いは文化的な断絶を生んでいます。上の世代にとって音楽は「人生を変える芸術」であり、レコードやCDを所有し、アルバム全体に没入する時間が大切でした。若い世代にとっては、音楽は芸術ではなく「コミュニケーションの道具」として機能しています。これは単なる好みの違いではなく、文化の方向性そのものに深い分岐をもたらしています。

それでも音楽は消えません。なぜなら、音楽はデータや記号ではなく、空気を震わせ、身体に響く有機的な物理現象だからです。低音は胸を震わせ、高音は神経を刺激し、リズムは心拍と共鳴します。これらは人間の身体が有機的に解釈することで初めて音楽になります。AIがどれほど精巧でも、この有機的な物理性を欠いた音楽は本質に届かないのです。

だからこそレコーディングスタジオとエンジニアの存在は揺るぎません。スタジオは人と人とが出会い、空気を共有し、その瞬間を音に刻む場所です。エンジニアは唯一無二の響きを守り、磨き上げ、社会に届けます。AIがどれほど市場を覆っても、スタジオで録音された声や演奏、その場の空気は代替できません。

芸術か、消費か。この問いに答えを出すのは市場ではなく、私たち人間の選択です。どちらに振れても、音楽が有機的な物理現象として存在し続ける限り、レコーディングスタジオとエンジニアの意義は決して消えることはありません。

神宮前レコーディングスタジオでは、その有機的な音楽体験を未来に残すための取り組みを続けています。詳しくは公式ホームページをご覧ください。

神宮前レコーディングスタジオ公式サイト:https://www.elekitel.net/

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