私たちはいま、表現芸術において歴史的な転換点に立っています。生成AIが過去の作品を学習し、音楽や声を再構築できるようになったことは、単なる技術革新ではありません。誰が創作者なのか、どこから権利が発生するのか、そして社会が芸術をどう評価するのか。根本的な問い直しを迫られています。
アメリカでは、著名なミュージシャンが公開書簡を通じてAIの無断利用に反対の声を上げました。Stevie WonderやBillie Eilishといった大物アーティストが名を連ね、音楽業界全体に強い影響を与えました。さらにテネシー州では「ELVIS法」が成立し、声や肖像を無断で生成することを禁止しました。労働組合であるSAG-AFTRAも大手レーベルとの契約交渉で「AIによる声の複製には本人の同意と補償を必須とする」条項を導入しました。こうした動きは、抗議の声が制度や契約に結びついた事例として注目されます。
一方、日本ではJASRACや日本レコード協会などが「AIに関する音楽団体協議会」を立ち上げ、声明や要望を発表しています。日本音楽作家団体協議会や音楽家ユニオンも文化庁に意見を提出し、識別や不正利用防止の必要性を訴えています。しかし現状は協議や声明にとどまり、法的拘束力や契約実務への直接的な反映は限定的です。背景には、日本の著作権法が柔軟性を重視し、文化庁が調整役として慎重な合意形成を優先する文化的事情があります。拙速な規制を避ける利点はありますが、芸術家の権利保護が遅れる要因にもなっています。
両国を比較すると、制度の実効性、アーティストの発言力、契約実務、説明責任の四つの点で大きな差が見えてきます。アメリカは罰則付きの制度や契約で芸術家を守る方向に進んでいますが、日本は合意形成に重きを置き、制度的には慎重な歩みを続けています。
私はAIを「過去の情報を整理再構築する道具」にすぎないと考えています。AIは膨大な断片を組み合わせる力を持ちますが、それを芸術に昇華させるのは人間の意志と選択です。現代アートにおけるレディ・メイドや流用のように、既存のものが芸術となるのは「人間が意味を与える」瞬間にほかなりません。AIの生成物も同じく、人間の介在と文脈化が不可欠です。
ここで重要になるのが「言語化経済社会」という視点です。現代社会では、価値は「どのように言葉にされるか」によって評価され、経済的な価値に結びつきます。AIの生成物が社会で意味を持つためには、言語による解釈と物語化が必要です。言語化が行われなければ、生成物は断片にすぎません。逆に言語化を通じて初めて、芸術としての存在証明を獲得します。
AIは創作の終着点ではなく、創作の出発点です。人間が言葉と意志をもってAIを使いこなし、社会に意味を与えることで、新しい芸術が生まれます。責任を放棄すれば芸術は単なるデータの組み合わせに堕しますが、責任を果たせば芸術は未来へと広がっていきます。
神宮前レコーディングスタジオでは、こうしたAI時代における音楽制作の新しい形を模索しつつ、現場からの実践を積み重ねています。公式サイトでも関連情報を発信していますので、ぜひご覧ください。
0 件のコメント:
コメントを投稿