2025年10月11日土曜日

身体性を伴う表現の臨界点 ―ナレーター・声優・アナウンサーが担う、AI時代の不可避な文化継承責任

2025年の秋、声の表現に関わる仕事がこれほどまでに時代の変化にさらされたことは、かつてありませんでした。AI音声や自動ナレーション技術が一般化し、ナレーターや声優、アナウンサーの仕事が「人間でなければならない理由」を問い直される時代が訪れています。

AIは声質やイントネーションを高精度で再現し、映像や広告の現場でも日常的に活用されるようになりました。リモート収録や編集ソフトの発展も相まって、表現活動の現場はこれまで以上に効率化され、「時間」と「コスト」で測られる領域が広がっています。

しかし、どれだけ技術が進化しても、人間の身体を通して発せられる声の奥行きや感情の震えを、AIが再現することはできません。声とは単なる音ではなく、身体全体がつくり出す現象です。呼吸、姿勢、筋肉の緊張、感情の波、それらが重なり合って初めて「生きた声」となります。

俳優の世界で語り継がれてきた「声優は、声優である前に優れた俳優であれ」という言葉は、まさにこの本質を示しています。AIが扱う声は過去のデータの平均でしかなく、いまこの瞬間に立ち上がる身体的な感動を生み出すことはできません。

MITやスタンフォード大学の研究では、人間の感情理解は身体の動きや呼吸と密接に関係していることが証明されています。つまり、感情を伝えるためには、身体を伴う発声が不可欠なのです。

それにもかかわらず、現代社会では、こうした身体性の価値を感じ取れる人が減っています。文化行政や制作現場での意思決定が、数字や効率に偏るほど、そこから「生の感動」が失われていきます。身体を通じた経験を持たない管理や評価の仕組みが、表現の現場を平準化し、創作の息づかいを奪っているのです。

哲学者メルロ=ポンティは「身体は世界を知覚するための道具ではなく、世界と私を媒介する存在である」と述べました。人間が世界を感じ取り、他者とつながるための根源には、身体が存在します。声の仕事も同じです。息や声を通して感情を伝えることは、人間が人間であることの証明です。

身体性を継承するには、記録ではなく継続が必要です。UNESCOの無形文化遺産条約でも、上演芸術は「継続的な実践」によってのみ守られると定義されています。つまり、声の表現を続けるという行為そのものが、文化の生命線なのです。

経済産業省『クリエイティブ産業レポート2024』でも、人間固有の身体表現を産業基盤に据える重要性が指摘されています。市場の中で生きた活動として継続することこそが、文化を未来へ渡す唯一の方法なのです。

AIがどれだけ進化しても、身体を介した感動だけは再現できません。

声を発すること、息を共有すること、それは人間が世界に存在する証です。

身体性の継続とは、文化の持続そのもの。

声を発するという営みは、人間が人間であることを確かめ続ける行為だと、私は思います。

神宮前レコーディングスタジオでは、そうした「身体を通した声の表現」を記録し、未来へ残すことを使命としています。AI時代においても、人間の声が持つ温度とリアルを、丁寧に伝えていきたいと考えています。

詳しくは神宮前レコーディングスタジオ公式サイト(https://www.elekitel.net/)をご覧ください。

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