2025年現在、音楽や映像作品の評価を語る場面で、TikTokやYouTube、Instagramといったデジタルプラットフォーム上の再生数が強い指標として用いられるようになっています。
再生数は視覚的にも分かりやすく、話題性や拡散力を示す数字として参照されがちです。
しかし、その数字が示しているものが、音楽表現としてどれほど深く届いたのか、という点については慎重に考える必要があります。
再生された回数と、作品が理解され、記憶に残り、繰り返し聴かれることとは、必ずしも同じではありません。
2010年頃まで、音楽の広がりを測る際には、CDの実売枚数やラジオ・テレビでの放送回数が重要な指標とされてきました。
これらの数字も完全なものではありませんでしたが、少なくとも作品を聴くために能動的な選択や行動が伴っており、文化的な重みを持っていました。
一方、ショート動画を中心とした現在の視聴環境では、音楽は映像や身体表現と結びつき、短い時間の中で消費されていきます。
次々と画面が切り替わるなかで、楽曲全体の構造や、言葉の意味、時間をかけて設計された感情の流れが十分に共有されないまま終わることも少なくありません。
学術研究や音楽産業の調査では、再生数やいいね数といった可視化指標は、受け手の深い理解や継続的な関与を直接示すものではないことが指摘されています。
短尺動画で音楽に触れても、その後にフル尺を聴いたり、アーティスト全体に関心を持ったりしないケースが多いことも報告されています。
デジタルプラットフォーム上では、完成された音楽作品が切り取られ、ダンスや口パク、身体表現と組み合わされて再投稿されることも一般的です。
こうした行為は娯楽や自己表現として成立しており、否定されるべきものではありません。
ただし、その表現と、作家が時間をかけて構想し、音や言葉を選び、完成形として提示する音楽作品とは、異なる位相にあります。
短尺動画において音楽は、作品というよりも即時的な反応を引き出すための素材として扱われる場合が多く、作品が本来持っている文脈や余白が届きにくい側面があります。
問題は、デジタル技術やSNSの存在そのものではありません。
本質的な課題は、デジタル環境のなかで、音楽を芸術表現として味わい、時間をかけて受け取る文化をどのように保っていくかという点にあります。
再生数は、作品に触れる入口として重要な役割を果たします。
しかし、その数字が示していないものが何かを理解した上で向き合わなければ、表現は次第に断片化し、消費される速度だけが加速していきます。
神宮前レコーディングスタジオでは、デジタル時代であっても、音楽や声を「作品として残す」ことを重視した録音を行っています。
短期的な数字に左右されず、表現が持つ時間性や文脈を守りながら共有していくことが、これからの文化にとって重要だと考えています。
スタジオの詳細は、公式サイトにまとめています。
https://www.elekitel.net/
0 件のコメント:
コメントを投稿