2025年8月31日日曜日

言語化経済の光と影──AI時代における言葉の力と危うさ

 


言語化経済の光と影──AI時代における言葉の力と危うさ

言語化経済の光と影──AI時代における言葉の力と危うさ

2025年という時代を迎えて、私たちの暮らしや仕事はAIによる加速的な変化のただ中にあります。そのなかで改めて強く意識するのは、「言葉」というものの持つ力です。私はこれを「言語化経済」と呼んでいます。

言語化経済とは、単なる発言や文章がそのまま経済的行動に直結していく社会のことです。SNSでの発信やブログの一文が、AIによって収集・再編集され、評価や価値の基盤になる。意図的に整えた言葉だけでなく、思わずこぼれた発言や何気ない表現までもが「資源」とされる現実が、私たちの周りに広がっています。

プロンプト経済との違いと危うさ

この構図は「プロンプト経済」と大きく違います。AIに指示を与えるプロンプトは、整理された意図的な言語です。一方で言語化経済は、意図しない言葉さえ切り取られ、評価や市場の一部に組み込まれる。その危うさは、まだ十分に語られていません。

音楽とスタジオ文化への影響

音楽やスタジオ文化に目を向けると、この変化はさらに鮮明です。かつてスタジオは「音を形に残す場所」でした。ところが今は、アーティストがスタジオで語った一言、制作中の雑談でさえもSNSを通して広まり、評価やイメージを左右してしまう時代になりました。

神宮前レコーディングスタジオを運営しながら日々実感するのは、音だけでなく、そこに添えられる「言葉」までもがアーティストの存在証明となるということです。そして、スタジオという空間が「言葉と音をつなぐ媒介地」としての役割を強めている現実でもあります。

言語化経済の問題点

  • スピードやインパクトが重視され、思考の深さが軽視される。
  • 第三者の批評や検証の余地が減り、AIによる収集と評価が主軸になる。
  • 不用意な発言が過剰に切り取られ、誤解や炎上の火種になる。

未来に向けて

言語化経済の中で生きることを避けることはできません。しかし、私たちは「どの言葉を選び取り、どう差し出すか」を意識的に決める主体であり続けられるはずです。音楽や表現が本来持つ身体性や実存を守り抜き、魂を宿した言葉を差し出すことが必要です。

技術の進歩は常に社会を揺らし、抵抗と同調を繰り返しながら「新しい常態」へと落ち着いてきました。AIと共に生きるこの時代、問われているのは「どこに人間の存在証明を残すのか」という一点に尽きるのではないでしょうか。

言葉と音が交わる場所で過ごしてきた者として、この問いに真剣に向き合い続けることが、未来への責任であると考えています。


神宮前レコーディングスタジオ(名古屋市)より発信しています。

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