2025年8月21日木曜日

ロッキンオンとは何だったのか ─ 日本のロック文化に与えた功罪

ロッキンオンとは何だったのか ─ 日本のロック文化に与えた功罪

ロッキンオン創刊と日本ロック文化への影響

1970年代に創刊された音楽雑誌『ロッキンオン』は、日本のロック文化を語るうえで欠かせない存在です。誌面では海外ロックの紹介や批評が大きな役割を果たし、日本の若者に「音楽を語る文化」を広めました。特に読者投稿や若い批評家による熱量ある文章は、音楽を単なる娯楽から社会参加の手段へと押し上げる装置となりました。

読者投稿文化とSNSの先駆性

ロッキンオンのユニークな点は、読者による突然的な投稿が誌面に大きな影響を与えたことです。投稿者の熱い言葉が洋楽アーティストや日本のロックシーンをめぐる議論を喚起し、ある意味で現在のSNS的な「自己顕示欲」や「承認欲求」の先駆けになっていました。この点は、今日のTikTokやInstagramと驚くほど通じる部分です。

偏ったフィルターが残した功罪

ただし、功績の裏側には問題点も存在しました。誌面ではイギリスのロックが「正統」とされ、アメリカの音楽やその他のジャンルは十分に取り上げられない傾向がありました。結果として、日本のロック批評は特定の価値観に強く寄り添い、多様性を削いだ側面も否めません。さらに、熱狂的な議論が事実や背景を無視した「正義」として流布される場面もあり、冷静な批評性や校閲性の欠如も指摘されてきました。

ロッキンオン・フェスの拡大と商業化の逆説

1990年代以降、ロッキンオンは音楽フェス事業へと拡張しました。巨大なイベントを通して音楽を広める一方で、かつて「反商業」を掲げていたロックが「体験消費」へと変わる逆説を生んだのです。これは音楽が思想からイベント消費へと変質する象徴的な出来事であり、音楽文化を広げつつ枠にはめ込むという二重性が浮き彫りになりました。

ロッキンオンがなければ育ったかもしれない文化

ロッキンオンがなければ見えなかった景色があった一方で、もし別の仕組みが育っていれば、もっと多様で芳醇な音楽文化が広がっていた可能性もあります。すなわちロッキンオンは「文化を育てた存在」であると同時に「文化を制約した存在」でもあったのです。この矛盾は、現在の日本の音楽批評やシーン形成を考えるうえで無視できません。

SNS時代に繰り返される構造

現在のSNSに目を向けると、ロッキンオンが抱えていた構造が繰り返されていることに気づかされます。誰もが自由に音楽を語れる一方で、アルゴリズムが選択肢を狭め、評価は「いいね」や再生数に置き換えられてしまいました。熱量があっても批評性が薄れ、多様性が埋もれる状況は、ロッキンオン的な功罪の延長線上にあると言えるでしょう。

まとめ:ロッキンオンが残したもの

ロッキンオンの歴史を振り返ることは、単なる過去の検証ではありません。むしろ、今の音楽表現やその受け止められ方を理解するための手がかりであり、これからの音楽文化をどう育てるかを考えるための鏡でもあります。ロッキンオンが残した功罪を検証することは、日本の音楽の未来を見据えるために不可欠なのです。

 

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