2025年の秋、日本各地で映画祭の季節がやってきました。
都市部の大型フェスティバルだけでなく、地方のまちや学校、商店街の一角で開かれる映画祭も数多くあります。
それぞれの場所で、地域の方々やボランティアが力を合わせ、文化を育て続けています。
私は今年、北海道で開かれた夕張国際ファンタスティック思い出映画祭に、技術スタッフとして参加しました。
会場は、かつて小学校だった建物の体育館。
上映されたのは、若い監督たちの作品で、身近な仲間と手づくりで仕上げた映画ばかりでした。
その温かい現場の空気に包まれながらも、ひとつだけ強く感じたことがあります。
それは、「映画を正しく鳴らす」ということが、想像以上に難しくなっているということです。
会場では、イベント用のスピーカーを使い、2チャンネルの音源で上映が行われていました。
音響スタッフの方々は限られた時間と予算の中で最善を尽くしており、その努力には深い敬意を感じます。
ただ、そこには技術面とは別の「構造的な壁」があります。
都市部ではDolby Atmosや立体音響、AIによるノイズ除去などが当たり前になりましたが、地方の映画祭では仮設会場での上映が多く、反響や音響調整を思い通りに行うのが難しいのです。
技術の進歩と現場の条件。そのあいだにあるギャップが、年々大きくなっています。
こうした状況を誰かの責任にするのは簡単ですが、現実には「制度の側が追いついていない」ことが根本原因だと思います。
文化庁や日本映画制作適正化機構が制作・安全に関するガイドラインを整備している一方で、「上映」という工程そのものには、全国共通の品質基準が存在していません。
上映という行為は、単に機材を動かすことではありません。
それは作品を正しく再生し、監督やスタッフの意図を観客に伝える文化的な営みです。
地方の映画祭を支えているのは、現場のスタッフや音響屋さん、照明担当、そして地域のボランティアの方々です。
彼らの努力がなければ、映画は観客の前に立ち上がることさえできません。
だからこそ、その努力を支える「仕組み」が必要だと思います。
たとえば次のような仕組みです。
・上映仕様(DCP・音声チャンネル数・音量基準)の事前共有
・会場音響マニュアル(スピーカー配置・反響処理の手引き)
・上映チェックリスト(音圧測定・同期確認)
・仮設会場向けの安全・衛生ガイドライン
こうした標準的なフレームを共有することで、現場の柔軟な判断を尊重しながら、再現性と品質を両立することができます。
映画祭を“守る”仕組みは、現場の人たちを縛るものではなく、むしろ支えるための基盤になるはずです。
映画は、光と音の芸術です。
どんなに映像が美しくても、音が正しく再生されなければ、作品の魅力は伝わりません。
AIがどれほど進化しても、「どう聴かせたいか」を選ぶのは人間の仕事です。
地方映画祭の音がときに不完全でも、その奥には確かな情熱があります。
私たちは、その努力を支える制度と文化を育て直す段階に来ています。
映画を“正しく鳴らす”という意識が広がれば、地方映画祭はもっと豊かに、もっと誇らしい場所になっていくでしょう。
神宮前レコーディングスタジオ(https://www.elekitel.net/)は、これからも現場で鳴る音と、人の手の仕事を見つめ続けていきます。
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