レコーディングスタジオという場所は、長いあいだ「音楽の心臓」と呼ばれてきました。
音を録り、編集し、作品を社会に送り出す。その一連の作業の中心に、スタジオという空間がありました。
しかし、2025年のいま、その根本的なあり方が揺らいでいます。
AI技術の急速な普及、配信市場の拡大、社会全体で高まる多様性への意識。
これらすべてが同時に押し寄せ、現場はかつてないほどの圧力に晒されています。
そして、その変化を最も強く受けているのが、物理的な「レコーディングスタジオ」という現場です。
スタジオは本来、文化を支える創作の拠点でした。
しかし現実には、理想と経済のバランスがもはや釣り合わなくなっています。
理念を掲げても、それを実行するための構造的な余力が失われているのです。
日本の録音業界の大半は、個人または数名での小規模経営です。
経済産業省の調査(2024年)では、音声制作事業の約62%が従業員4名以下と報告されています。
平均単価は1時間あたり4,000〜6,000円。
週30時間前後の稼働で、月の売上はおおむね60万円ほどに留まります。
ここから家賃、電気代、機材維持費、税を差し引けば、教育や人材育成に回す余裕はありません。
多くのスタジオは「教える=赤字」という構造に陥り、教育を続けることが文化的責務であると知りながらも、現実的には放棄せざるを得ない状況です。
若手を育てたくても、教えるために必要な時間も資金もありません。
それが、現在の日本のスタジオが抱える根本的な構造問題です。
一方で、社会的には「ジェンダー平等」「多様性の尊重」という理想が求められています。
けれども、現場の空気はその理想とはあまりにもかけ離れています。
深夜、狭い空間、強い言葉が飛び交う制作現場に、経験の浅い若手や女性エンジニアを投入することは、安全面でも心理面でも大きなリスクを伴います。
登用を控えれば「排除」だと批判され、登用すれば現場が不安定になる。
この二重構造の中で、スタジオ運営者たちは日々、現実と理想のはざまで苦しんでいます。
さらに、日本では録音スタジオが文化的施設として制度的に支援される仕組みもありません。
文化庁の助成金枠でも、スタジオは「事業所」として扱われ、教育や安全に関する補助の対象外です。
制作単価はこの10年でおよそ3割下がり、理念を維持する余白も削り取られました。
このような状況の中で、必要なのは「理想を再現すること」ではなく、矛盾そのものを社会に可視化することだと考えます。
現場の限界を正直に見せ、問題を共有することが、
次の文化的アップデートの起点になるのではないでしょうか。
教育ができないなら、できない理由を共有する。
安全が保てないなら、その構造を透明にする。
それは言い訳ではなく、現実を伝える文化の責務です。
理想を守るために現場が失われてしまうのではなく、現場を守るために理想を翻訳していくこと。
それが2025年以降のスタジオの役割だと思います。
神宮前レコーディングスタジオでは、
こうした現実と矛盾を、隠さずに社会と共有していくことを大切にしています。
「現場の理想と生存の現実」というテーマを軸に、スタジオの文化的役割を問い直す取り組みを続けていきます。
https://www.elekitel.net/
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