音声メディアの存在感が、2025年のいま、静かに大きくなっているように感じます。世界ではポッドキャスト市場が拡大し、日本でも利用者が確実に増えています。しかし、この動きを「新しいメディアの台頭」とだけ捉えてしまうと、少し視点が狭くなってしまうかもしれません。
ラジオの時代から、音声は常に「ながら聴き」によって生活に寄り添ってきました。料理をしながら、移動しながら、作業をしながら。目や手を止めずに、声だけがそっと心に入り込んでくる。その特性は、ポッドキャストという形に変わっても本質的には変わっていません。
むしろ、AIが生活に深く入り込んだ現在では、音声の価値が以前よりも強調されているように思います。AIは膨大なデータから文章や音声を生成しますが、その根底にあるのは、誰かがかつて残した“二次情報”です。一方で、人間が自分の声で語った瞬間に生まれるものは、そのときだけの“一次情報”です。抑揚や呼吸、言葉に宿る迷いなど、機械には再現できない揺らぎが含まれています。
深夜の静けさの中で収録された声も、言葉に詰まる瞬間も、語り手の時間と体温ごと記録されていきます。これらはすべて、その人にしか生み出せない生のデータです。
一方で、AI音声が広がるにつれて、本物と偽物の境界が不鮮明になっています。AIによるなりすましや詐欺の事例が増え、「この声は本当に本人なのか」という疑念が日常的に生まれるようになっています。声という存在そのものへの信頼が揺らぎ始めていると言ってもよいと思います。
このような時代だからこそ、人間が語った一次情報を、正確に、丁寧に残すことの価値が高まっています。ポッドキャストの再評価が進んでいる背景には、「誰が語ったのか」という根本的な問いが再び注目されているという事情があります。
録音スタジオの役割も変化しています。きれいな音を録るだけの場所ではなく、その声が確かにそこに存在したという証拠を残す場所としての意味を帯びつつあります。ニュアンスや微細な揺らぎをそのまま受け止める空間。誤解なく記録するための静かな基盤です。
神宮前レコーディングスタジオでは、その“一度きりの声”を丁寧に記録することを大切にしています。公式サイトではサービスや機材環境について詳しく紹介していますので、興味をお持ちいただけましたらご覧いただければと思います。
神宮前レコーディングスタジオ
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AIが進化を続ける時代の中で、人間の声はむしろ以前よりも明確な重みを帯びています。その価値がこれから先、さらに広がっていくと考えています。
