2025年11月21日金曜日

AI時代における「一次情報としての音声」とポッドキャスト再評価の必然性 — 2025年の音声メディア環境と、情報の信頼性を支える録音空間の再定義 —

音声メディアの存在感が、2025年のいま、静かに大きくなっているように感じます。世界ではポッドキャスト市場が拡大し、日本でも利用者が確実に増えています。しかし、この動きを「新しいメディアの台頭」とだけ捉えてしまうと、少し視点が狭くなってしまうかもしれません。


ラジオの時代から、音声は常に「ながら聴き」によって生活に寄り添ってきました。料理をしながら、移動しながら、作業をしながら。目や手を止めずに、声だけがそっと心に入り込んでくる。その特性は、ポッドキャストという形に変わっても本質的には変わっていません。


むしろ、AIが生活に深く入り込んだ現在では、音声の価値が以前よりも強調されているように思います。AIは膨大なデータから文章や音声を生成しますが、その根底にあるのは、誰かがかつて残した“二次情報”です。一方で、人間が自分の声で語った瞬間に生まれるものは、そのときだけの“一次情報”です。抑揚や呼吸、言葉に宿る迷いなど、機械には再現できない揺らぎが含まれています。


深夜の静けさの中で収録された声も、言葉に詰まる瞬間も、語り手の時間と体温ごと記録されていきます。これらはすべて、その人にしか生み出せない生のデータです。


一方で、AI音声が広がるにつれて、本物と偽物の境界が不鮮明になっています。AIによるなりすましや詐欺の事例が増え、「この声は本当に本人なのか」という疑念が日常的に生まれるようになっています。声という存在そのものへの信頼が揺らぎ始めていると言ってもよいと思います。


このような時代だからこそ、人間が語った一次情報を、正確に、丁寧に残すことの価値が高まっています。ポッドキャストの再評価が進んでいる背景には、「誰が語ったのか」という根本的な問いが再び注目されているという事情があります。


録音スタジオの役割も変化しています。きれいな音を録るだけの場所ではなく、その声が確かにそこに存在したという証拠を残す場所としての意味を帯びつつあります。ニュアンスや微細な揺らぎをそのまま受け止める空間。誤解なく記録するための静かな基盤です。


神宮前レコーディングスタジオでは、その“一度きりの声”を丁寧に記録することを大切にしています。公式サイトではサービスや機材環境について詳しく紹介していますので、興味をお持ちいただけましたらご覧いただければと思います。


神宮前レコーディングスタジオ

https://www.elekitel.net/


AIが進化を続ける時代の中で、人間の声はむしろ以前よりも明確な重みを帯びています。その価値がこれから先、さらに広がっていくと考えています。

2025年11月17日月曜日

演劇が解くべき50年の問い:教育・経済・地域の基盤として

演劇という表現は、人が身体と言葉を使って物語を立ち上げるところから始まります。舞台に立つかどうかに関わらず、歌う人や語る人、映像をつくる人、音楽をつくる人など、表現に関わる多くの人が、この「演劇的な力」をどこかで借りています。


対話する力、即興で反応する力、沈黙の重さを感じ取る力、感情の起伏を構造として理解する力。これらはすべて、演劇が本来育ててきたものです。ところが、この大切な表現は日本の社会において長いあいだ周縁に置かれ、十分に評価されてきませんでした。


その象徴の一つが教育現場における扱われ方です。演劇は半世紀以上にわたって正規科目として定着しておらず、学芸会や文化祭の一部として触れられる機会が中心です。1970年代にも、1980年代にも、2010年代にも「教育に取り入れるべきだ」という議論が繰り返されましたが、立場はほとんど変わっていません。演劇が持つ本質的な価値が教育制度に届かないまま、同じ課題が連続しています。


経済基盤についても状況は似ています。戦後から現在に至るまで、劇団の多くは「劇団員の持ち出し」と「助成金への依存」に直面し続けています。1960〜80年代に議論された課題が、そのまま2020年代の課題として積み残されている現実は、演劇を支える構造がいかに脆弱なままであるかを示しています。


地域格差も大きな問題です。1970年代には既存の大劇場では創造の場が不足していたため、小劇場やテント劇場が各地に生まれました。しかし2020年代の今も、文化資源は東京に集中し、地方では上演や学習の機会が限られています。長年親しまれてきた劇場の閉館が相次ぎ、創造拠点の減少が続いています。


さらに、演劇は「その瞬間がすべて」という特徴を持つため、稽古過程や演出意図、俳優の身体技法が十分に残されず、ほかの分野に活用しにくい状態が続いてきました。半世紀にわたり、演劇は「再利用されない文化」として扱われてきたと言っても過言ではありません。


こうした状況を踏まえたうえで、2026年以降の演劇にはいくつかの方向性が見えてきます。


演劇を教育の基盤として再整備すること。対話や即興性といった、AIには置き換えにくい人間の力を育てる中心に演劇を据えること。これは、社会全体のコミュニケーション能力を底上げする可能性を持っています。


また、AIが台本や舞台構造を提示し、人間が身体性で応答するような「共創の演劇」も今後大きく発展するでしょう。稽古場で生まれる知識や技法をアーカイブし、音楽・映像・教育・研究へ横断的に活かす仕組みも必須になります。


地域に根ざした演劇が、街の文化や人のつながりを再生する装置として機能する未来も見えてきます。観客を「鑑賞者」ではなく「共創者」として迎え入れ、作品づくりに関わる循環をつくることも、演劇が持続するために欠かせません。


演劇は、単なる舞台芸術のひとつではありません。身体と言葉が交差する場を通して、社会全体の人間理解を支える根源的な技術です。長い時間をかけて解かれなかった問いに、いよいよ向き合う時期が来ていると感じます。


神宮前レコーディングスタジオでも、声や音の仕事を通して、演劇が持つ根源的な力を日々感じています。もし興味をお持ちいただければ、こちらから詳細をご覧いただけます。


https://www.elekitel.net/


演劇の未来を考えることは、これからの表現の未来を考えることでもあります。半世紀続いてきた課題を超えて、新しい演劇の形が生まれていくことを願っています。

2025年11月9日日曜日

録音産業の変貌期──従来型レコーディングスタジオの終演と再構築の可能性 ――あと五年で起きる録音拠点の入れ替わりと、新たな音の記録基盤へ――

録音スタジオという物理的な空間は、これまで長く音楽制作の中心でした。

しかし2025年現在、録音産業は静かに転換期を迎えています。

世界規模では市場が拡大を続けているにもかかわらず、その成長の果実がメジャーとプラットフォームに集中し、中間層のクリエイターやスタジオには届かない構造が定着しています。

音楽産業の成長と分配の偏在。

それが、現場を支えてきた小規模スタジオを静かに追い詰めています。

イギリスのMusic Producers Guild(MPG)とUK Musicの調査では、スタジオの約半数が「1年以内の閉鎖を検討」と回答。

燃料費や家賃などの固定費は上昇し、価格転嫁も難しい状況が続いています。

この状況は日本でも他人事ではありません。

設備投資を前提とした従来型のスタジオ運営は、同じ構造的リスクを抱えています。

そしてこの5年ほどで、録音拠点そのものが大きく入れ替わる可能性が高いと私は考えています。


AIと宅録の普及がもたらす変化

音楽制作のワークフローは、この数年で大きく変わりました。

AIによる自動アレンジやマスタリング、宅録環境の高性能化。

もはや「プロのスタジオで録らなければならない」という時代ではありません。

ただし、AIが生成した音や自宅で録られた音が、

どのような経緯で作られ、どんな処理を経て公開されたのか。

その“履歴”を記録・証明できる場所は、まだほとんど存在しません。

この「音の証跡(トレーサビリティ)」の欠如こそが、

これからの録音産業にとって最大のテーマになると感じています。

作品を守り、信頼を可視化するには、ログ(記録)を残す仕組みが必要です。


神宮前レコーディングスタジオの新たな役割

神宮前レコーディングスタジオでは、従来の収録中心型から「音の履歴を残すスタジオ」への転換を進めています。

  1. 録音ログの標準化
  2. 収録から納品までのプロセスを明文化し、AI支援履歴やファイル構造まで記録。音源の「生成履歴」を可視化・保全します。
  3. 宅録+AI併用支援
  4. 自宅で録音した素材やAIで生成した音を持ち込み、音質監査・納品設計・権利管理支援をワンストップで提供します。
  5. 空間の再定義
  6. スタジオを「録るだけの場所」ではなく、「編集・AIチューニング・アーカイブ設計」の拠点として再構築します。

これにより、単なる「時間貸し」から、「音の記録と継承を支える場」へと役割を拡張していきます。


「あと五年」という時間軸の意味

AIによる音楽生成は、CISACの予測によれば2028年までに音楽収益の20%を占める見通しです。

また英国では、録音拠点の半数が閉鎖危機にあるという報告もあり、物理的なスタジオの減少はすでに始まっています。

つまり、録音スタジオの「入れ替わり期」はもう始まっているのです。

この5年というスパンは、危機ではなく「再構築の猶予期間」として捉えるべきだと感じています。

いま始めれば、10年後の文化の形を自分たちの手でつくることができる。

そのために、現場から構造を変える意識が求められています。


未来に残すべきもの

録音産業の終演は、破綻ではなく再定義です。

AIと宅録の進化が進むほど、人間の耳と判断が問われる場面は増えていく。

「音を聴き、正しく記録する」ことこそ、スタジオの新しい使命だと思います。

神宮前レコーディングスタジオでは、

音の品質を超えて、「どのように残すか」「誰の手を経て生まれたか」という価値を記録していきます。

それが、AI時代の“音の証明”になると信じています。

神宮前レコーディングスタジオ

https://www.elekitel.net/

2025年11月5日水曜日

現場の理想と生存の現実 ――日本のレコーディングスタジオが抱える構造的矛盾について――

レコーディングスタジオという場所は、長いあいだ「音楽の心臓」と呼ばれてきました。

音を録り、編集し、作品を社会に送り出す。その一連の作業の中心に、スタジオという空間がありました。

しかし、2025年のいま、その根本的なあり方が揺らいでいます。

AI技術の急速な普及、配信市場の拡大、社会全体で高まる多様性への意識。

これらすべてが同時に押し寄せ、現場はかつてないほどの圧力に晒されています。

そして、その変化を最も強く受けているのが、物理的な「レコーディングスタジオ」という現場です。

スタジオは本来、文化を支える創作の拠点でした。

しかし現実には、理想と経済のバランスがもはや釣り合わなくなっています。

理念を掲げても、それを実行するための構造的な余力が失われているのです。

日本の録音業界の大半は、個人または数名での小規模経営です。

経済産業省の調査(2024年)では、音声制作事業の約62%が従業員4名以下と報告されています。

平均単価は1時間あたり4,000〜6,000円。

週30時間前後の稼働で、月の売上はおおむね60万円ほどに留まります。

ここから家賃、電気代、機材維持費、税を差し引けば、教育や人材育成に回す余裕はありません。

多くのスタジオは「教える=赤字」という構造に陥り、教育を続けることが文化的責務であると知りながらも、現実的には放棄せざるを得ない状況です。

若手を育てたくても、教えるために必要な時間も資金もありません。

それが、現在の日本のスタジオが抱える根本的な構造問題です。

一方で、社会的には「ジェンダー平等」「多様性の尊重」という理想が求められています。

けれども、現場の空気はその理想とはあまりにもかけ離れています。

深夜、狭い空間、強い言葉が飛び交う制作現場に、経験の浅い若手や女性エンジニアを投入することは、安全面でも心理面でも大きなリスクを伴います。

登用を控えれば「排除」だと批判され、登用すれば現場が不安定になる。

この二重構造の中で、スタジオ運営者たちは日々、現実と理想のはざまで苦しんでいます。

さらに、日本では録音スタジオが文化的施設として制度的に支援される仕組みもありません。

文化庁の助成金枠でも、スタジオは「事業所」として扱われ、教育や安全に関する補助の対象外です。

制作単価はこの10年でおよそ3割下がり、理念を維持する余白も削り取られました。

このような状況の中で、必要なのは「理想を再現すること」ではなく、矛盾そのものを社会に可視化することだと考えます。

現場の限界を正直に見せ、問題を共有することが、

次の文化的アップデートの起点になるのではないでしょうか。

教育ができないなら、できない理由を共有する。

安全が保てないなら、その構造を透明にする。

それは言い訳ではなく、現実を伝える文化の責務です。

理想を守るために現場が失われてしまうのではなく、現場を守るために理想を翻訳していくこと。

それが2025年以降のスタジオの役割だと思います。

神宮前レコーディングスタジオでは、

こうした現実と矛盾を、隠さずに社会と共有していくことを大切にしています。

「現場の理想と生存の現実」というテーマを軸に、スタジオの文化的役割を問い直す取り組みを続けていきます。

https://www.elekitel.net/

2025年11月2日日曜日

2025年における「生の表現」と公共的信頼の再構築をめぐって

 


舞台芸術の現場に立つたびに感じるのは、「人が人の前で演じる」ことの重さです。
照明が落ち、息をひそめる観客。
袖で緊張を押し殺す俳優。
あの空気がひとつに重なる瞬間に、時間が動き出すのを確かに感じます。
それは単なる娯楽ではなく、生きる社会の中で「存在を証明する行為」そのものです。

しかし2025年の舞台芸術を取り巻く環境は、大きく揺れています。
文化庁や日本芸術文化振興会の支援によって活動が維持されている一方で、助成金への依存が企画内容に影響を与える現場も少なくありません。
「採択されること」が目的化し、芸術の自由度が狭まるという課題も見えています。
経済的な仕組みの再設計が求められているのです。

一方で、観客の意識も変化しています。
ぴあ総研の調査では、観劇動機の上位に「SNSで話題」「推し俳優の出演」が並びました。
共有や拡散が価値の中心にある時代。
作品よりも「誰と一緒に体験するか」が重視されるようになりました。
けれど、舞台の本質はやはり「同じ時間を生きること」にあります。
合理的な社会の中で、非効率な体験を守ることこそが舞台芸術の意味なのかもしれません。

さらに近年、「表現の自由」と「倫理的配慮」のあいだで揺れる作品が増えています。
ジェンダーや差別表現をめぐる議論がSNSで炎上し、上演が中止になる例も報じられました。
誰かを傷つけないための配慮が、結果として創作の萎縮を生むという難しさ。
芸術が社会と対話するためには、自由と責任を両立させる新しいルールづくりが必要です。

技術革新も舞台の姿を変えています。
AIによる脚本補助や、ホログラムでの遠隔出演が現実になりました。
しかし、人の身体が放つ温度や息づかいは、いかなる技術でも完全には再現できません。
演劇人の三浦基さんが語ったように、「舞台とは身体というリスクを共有する芸術」です。
テクノロジーを恐れるのではなく、不完全な人間を照らす光として活かすこと。
それが、これからの舞台表現の方向ではないでしょうか。

そしてもう一つのテーマが「記録」です。
国立国会図書館や文化庁が舞台映像のアーカイブ化を進めています。
文化を守るためには大切な取り組みですが、同時に「消えることの意味」も見失ってはいけません。
一度きりの舞台、一度しか鳴らない音。
その儚さこそが、記録社会では得られない“生の芸術”の証です。

舞台芸術は、経済・倫理・技術・記録という四つの波に揺れながら、それでもなお社会の鏡であり続けています。
助成に頼るだけでなく、観客と支え合い、対話を重ね、技術と共に歩むこと。
その先にこそ、「生きる社会」と「表現する社会」がつながる未来があります。

神宮前レコーディングスタジオでも、音を録るという行為の根底には同じ願いがあります。
消えてしまう時間の中に“生きた声”を残すこと。
それが私たちの仕事です。
公式サイト(https://www.elekitel.net/)でも、創作や収録にまつわる考え方を発信しています。
もし次の舞台の幕が上がるとき、その静けさの奥に“生の音”を感じられたなら、
それはあなたの中の何かが、確かに鳴った証かもしれません。